教会暦

バロック時代の宗教音楽をよりよく知るために役立つ(かもしれない)教会暦についての解説です。

教会(西方の)はその初期から、時間に対する2つの秩序を発達させました。すなわち、一日を単位とする「聖務日課(時祷)」と、一年を単位とする「教会暦」(Kirchenjahr/Annus ecclesiasticus)です。教会暦は、今日ではその伝統をやや失いつつ(あるいは『改革』されつつ)ありますが、バッハの奉仕していたドイツルター派の教会では、典礼の基本的な枠組みを生成する重要な役割を果たしていました。バッハの数々の教会音楽も、教会暦の定めにしたがって作曲されたものがたくさんあります。特にカンタータは、教会暦の知識なしではよく理解できない部分が多々あると思われます。以下の解説が皆さんのお役に立てれば幸いです。なにしろ素人が書いているので、間違いも多々あるかとは思いますが。


キリスト教の母胎となったユダヤ教では、「土曜日」を安息日として神への祈りの日としています。キリスト教は、この「特定の曜日を『祝日』とする」という慣習を引き継ぎましたが、土曜日ではなく「日曜日(週の第一日)」を「主の日」として、キリストの復活を祝うことにしました。(もっとも早い記録は使徒行伝20.7にみられます。また、1世紀後半ないし2世紀初頭に成立した新約聖書外典の「バルナバの手紙」15章にもキリスト者の安息日に関する記述があります。) こうして、週を基本単位とし、主日の礼拝をかなめとする教会暦の基礎が定まりました。ちなみに「日曜日」に労働を休み安息する(つまりユダヤ教の考えを再びとりこんだことになる)習わしは、かなり遅れて6世紀以降、教会の定めるところとなりました。

教会暦は、時代と教派による相違はありますが、基本的な部分は同じです。すなわち、一年はほぼ半分に分かれており、前半の待降節から聖霊降臨祭まではキリストであるイエスの生涯を記念し、後半の三位一体祭から次の待降節の前までは、それ以外の種々の祝日が配置されています。これらの中には、毎年日付の定まった祭日と、年ごとに日付の異なる祭日があります。年ごとに日付の異なる「移動祝日」は、復活祭を基準にして定められますが、復活祭は月の運行に基づいて決定されるので、教会暦には一部太陰暦が取り入れられていることになります。以下順に主な祭日について述べます。各祭日の礼拝では、朗読される聖書(福音書、使徒書)、および、歌われるうた(コラール、詩篇唱、カトリックではグレゴリオ聖歌)が定められていました。基本的にバッハの奉仕していたルター派教会系の教会暦と用語に従うようにしますが、一部カトリックの用語等が混入しているかもしれません。書いている本人が区別できていないので勘弁してください。またコラールについては、現在のドイツのルター派教会の制定しているものと、バッハ当時のライプツィヒのそれとが必ずしも一致していないらしく、Web管理人にも詳しいことはよくわからないのでとりあえず一般的なことだけ書いておきます。東方教会の伝統についてはここでは触れられませんので、別に成書をおあたりください。


待降節(Advent)

12月25日のクリスマスの直前4つ前の日曜日から「待降節」が始まります。教会暦もここから1年を始めます。コラール集やグレゴリオ聖歌集も原則として待降節に歌われるものから配列してあります。日本の賛美歌集もそうですね。救世主の降誕を待つ、喜びにあふれた気分の4週間で、現在でも楽しい習慣がいろいろあります。しかしバッハの奉仕した当時のライプツィヒの教会では、生まれてくるキリストの受難の運命を思う悔悟の期間(temps clausum)として、待降節の第二主日から第四主日まではオルガン以外の音楽を控える習慣がありました。当然カンタータも演奏されませんでした。 この時期のためのもっとも有名なコラールは、"Nun Komm, der Heiden Heiland"でしょう。

降誕節(Weinachten)

12月25日から3日間(大祝日はどれも3日間連続)が降誕節、いわゆるクリスマスです。マタイ伝2章、ルカ伝2章に、キリスト教徒が伝えてきたイエス生誕の物語が書いてあります。クリスマスの諸行事は、これらの物語に基づいているので、機会があれば是非一読されることをお薦めします。また数々の「クリスマス・オラトリオ」の類、あるいは「メサイア」第1部などがこれらの物語を音楽で描写しているのはご存じの通り。
この時期のために数々の有名なコラールが書かれました。"In dulci jubilo"、"Vom Himmel hoch da komm ich her"、"Gelobet seist du, Jesu Christ"、"Der Tag der ist so freudenreich"、"Es ist ein Ros entsprungen"、"Nun singet und seid froh"、"Froehlich soll mein Herze springen"、"Jauchzet, ihr Himmel"などなど。
なお、福音書のこの部分に含まれる羊飼いと天使の物語から、天使の賛美のことば"Gloria in excelcis Deo"(ルカ2.14)がミサ通常文に取り入れられているのは、ご存知の通り。N.Deciusはこれをパラフレーズして、コラール"Allein Gott in der Hoer sei Ehr"を作りました。
また、降誕節の第3日は、聖ステパノ記念日と福音史家ヨハネの記念日と重なって祝われ、ライプツィヒでの慣例については諸説あるようです。

新年/割礼記念日

1月1日。ルカ伝2.21の記事に基づき、イエスの命名と割礼を記念します。降誕祭の続きという感じが強いですね。なお、大晦日はSilvesterといいます。4世紀の大晦日になくなった教皇のなまえに由来するそうです。

顕現節(公現節)(Epiphanie(Darstellung Jesu))

1月6日が「主の公現」の日です。マタイ伝2.1-12の記事に基づき、東方の占星術学者がイエスを礼拝するためにベツレヘムを訪れたことを記念します。占星術学者は、後に「3人の博士」とされ、また「3人の東方の王」とされるようになり、カスパル、バルタザル、メルヒオルという名も与えられました。「星に導かれる3人の王様」のイメージは広く西欧社会に広がり、クリスマスの定番となりました。これより復活節前70日までが顕現節です。復活祭が移動祝日なので、顕現節には日曜日が最少で1回、最多で6回あります。バッハの時代には、2月2日の「マリアのきよめ」の祝日までが降誕を祝う時期でした。「マリア清潔祭」(Mariae Reinigung)はルカ伝2.22-35の記述に基づく祝日で、ここには有名な「シメオンの頌歌」"Nunc Dimittis"が含まれ、ルターはこれをパラフレーズして名高いコラール"Mit Fried und Freud ich fahr dahin"を作りました。なお、東方教会ではこの日にイエスの生誕を祝います。

受胎告知記念日(Mariae Verkuendigung/Annunciatio)

3月25日。マリアに関する祝日の2番目は、「マリアのお告げの日」すなわち、天使ガブリエルがマリアに受胎を告げるルカ伝2.26-38の記事に基づく祝日です。バッハはこの日のために、コラール "Wie schoen leuchtet der Morgenstern"による美しいカンタータを書いています。(このコラールは現在では顕現節のために歌われています。) この日だけは、四旬節の最中であっても奏楽が許され、カンタータが上演されました。また、この日が聖木曜日、聖金曜日、復活節と重なった場合は、棕櫚の主日に繰り上げて祝われたそうです。



復活祭前の主日

復活祭は移動祝日であり、325年のニカイア公会議以来、春分の日を越えた最初の満月の次の日曜日とされています。これはユダヤ暦の「過越」の祭りにちなんだ決め方で、最も早い年で3月22日、もっとも遅い年で4月25日となります。ちなみに2000年は4月23日で大変遅く、2001年も4月15日でやや遅い復活祭となります。復活祭の前第9日曜日から、教会暦は復活祭の準備期間となり、復活祭を基準にして諸行事が組織されています。


7旬節の主日(Septuagesimae)
6旬節の主日(Sexagesimae)
5旬節の主日(Quinquagesimae/Esto mihi)

復活祭前第9週の日曜日は1月17日から2月22日に当たりますが、復活祭の「70日前」というラテン語の名前が付いています。以下1週ごとに「60日前」「50日前」という名前が付いています。「50日前」の日曜日には"Esto mihi"(カトリックでは伝統的に「エストミキ」と読む)とよばれることもあります。これはこの日読まれる詩篇31篇3節"Esto mihi in rupem praesidii"「私のために砦の岩となってください」に由来する呼び名です。(ちなみに31篇の第2節はいわゆる"Te Deum"のtextに使われています。) 7旬節からは典礼から「アレルヤ」唱が省かれるようになります。

4旬節(Quadragesimae)

復活祭前第6週は4旬節と呼ばれます。ここから主の受難を想う厳格な悔悟の期間とされ、教会でも家庭でも音楽が禁じられました。ミサではGloriaを歌いません。また、古くは復活祭前に40日間断食が行われ、西方では日曜日を除いて46日前から、東方では日曜日と土曜日を除いて6旬節から、肉類を食べませんでした。カトリックでは46日前の水曜日を「灰の水曜日」(Aschermittwoch/Cineris/Cendre)と呼び、頭に灰で十字架を描く習慣がありました。その前日は「告解の火曜日」(Fastnacht/Mardi gras)と呼ばれますが、いわゆる「謝肉祭」はこのつらい断食期間(Fastenzeit)の前のお祭りです。4旬節からの4つの日曜日は、それぞれその日のためのグレゴリオ聖歌の冒頭歌詞にちなんだ名前が付いています:
第1主日:Invocavit "Invocavit me, ego exaudiam eum": 詩篇91.15による
第2主日:Reminiscere "Reminiscere miserationem tuarum, Domine": 詩篇25.6
第3主日:Oculi "Oculi mei semper ad Dominum": 詩篇25.15
第4主日:Laetare "Laetare Ierusalem": イザヤ66.10
第5主日:Judica "Iudica me Deus": 詩篇43.1による

受難週(Karwoche)/聖週間(Hebdomana Sancta)

イエスが十字架にかけられた金曜日を含む週。マタイ伝21以下、マルコ伝11以下、ルカ伝19.28以下、ヨハネ伝12.12以下のよく知られた受難物語にちなんだ行事がおこなわれます。この時期のコラールには、受難曲でおなじみの"O Mensch, bewein dein Suende gross"、"O Lamm Gottes unschuldig"、"O Haupt voll Blut und Wunden"などがあります。

棕櫚の主日(Palmarum)
イエスが子ロバに乗ってエルサレムに入るとき、群衆が木の枝(ヨハネ伝では「なつめやし」)を手に持ち道に敷いて歓呼の声を挙げたという福音書(マタイ21.1-9、マルコ11.1-11、ヨハネ12.12-15)の記事にちなみ、受難週の最初の日曜日は「棕櫚の主日」と呼ばれています。ここで民衆が叫ぶ言葉が、"Benedictus"としてミサ通常文に取り入れられています。

**ここからの3日間は「聖なる3日間」(Triduum sacrum)と呼ばれることがあります。

聖木曜日(洗足の木曜日 Gruendonnerstag/Cena Domini)
この名称はヨハネ伝13.1-20のイエスが弟子の足を洗う記事にちなんでいます。この日は最後の晩餐の日でもあり、"Cena Domini"の名はそれに基づいています。カトリックでは、マタイ伝26.6-13の記事に依る「聖香油のミサ」も行われます。また、聖務日課では前日の水曜日から朝課(matutinum)に「エレミヤの哀歌」が朗唱され、有名なFr.Couperinの"Lecon de teneble"などが書かれています。

聖金曜日(Karfreitag/Parasceve)
イエスが十字架にかけられた日です。共観福音書では、「ニサン月15日の金曜日、過越祭第一日目」、ヨハネ伝ではその一日前(14日)となっていて、諸々の理由からヨハネの方が妥当とされているそうです。ちなみにポンテオ・ピラトの総督在任中でニサン月14日が金曜日なのは西暦30年4月7日の由。それはともかく、現存するバッハの受難曲はこの日のために作曲され演奏されました。ライプツィヒでは2つの大きな教会の晩課で毎年交互に受難曲を演奏することになっていました。中世の伝統では、この日はミサを行わず、前日のミサで聖別された聖体を拝領しました。また、典礼中にろうそくと香が使うことがなく、被われた十字架を祭壇に運び、その覆いを取り去るという儀式を行いました。

聖土曜日(Sabbatum Sanctum/Vigil)
この日は、少なくともライプツィヒでは市民のための礼拝行事はなかったようですが、よく知りません。カトリックの伝統では、降誕祭前日と同じく徹夜祭(Vigil)が行われ、現在でも行われるようです。また、この日は洗礼のために特に重要な日とされています。

復活祭(Ostern/Pascha/Paque)

新約聖書における最も超常的なできごと、キリストの復活はマタイ28、マルコ16、ルカ24、ヨハネ20の各章以下に記述があります。キリスト教徒の最大の喜びである復活の祭日は、ライプツィヒでは3日間祝われました。(普通は2日間?) 復活祭の代表的コラールといえば、"Christ lag in todesbanden"、"Christ ist erstanden"(そのまんまですね)、"Erstanden ist der heilig Christ"(これもか:-) )、などなど。バッハのこの時節のためのカンタータも、BWV4、6、31、66、134など傑作ぞろいです。そして復活祭オラトリオも。復活祭から40日後の昇天祭までが復活節ですが、聖霊降臨祭の直前の土曜日までをひとかたまり(Osterfestkreis)とする考えもあるようです。

復活後第1主日(Quasimodogeniti/Albis)
これから6つの主日は、その日ミサの入祭唱の冒頭句からとられた名前が付いています。この日はI.ペテロ 2.2の"Quasi modo geniti infantes"から。この日はまた古くは「白衣の主日」とよばれ、復活の主日に洗礼を受けた信徒は毎朝白衣を着て朝の典礼に預かり、この日にいたって白衣を脱ぐという習わしがありました。

第2主日:Misericordias Domini "Misericordias Domini in aeternum cantabo": 詩篇89.2
第3主日:Jubilate "Iubilate deo, omnis terra" 詩篇66.1
第4主日:Kantate "Cantate Domino canticum novum" 詩篇98.1
第5主日:Rogate ("Petite et accipietis") ヨハネ16.24による?
第6主日:Exaudi "Exsaudi, Domine, vocem meam" 詩篇27.7

さて、上のように書きましたが、よくわからないところがあります。 まず、私の持っているGraduale Triplex (Liber Usualisは持っていない)では、上記6日の入祭唱の入りは以下のようになっています。
復活後第2主日: "Quasi modo geniti infantes"
第3主日: "Iubilate deo, omnis terra"
第4主日: "Misericordia Domini plena est terra"(詩篇33.5)
第5主日: "Cantate Domino canticum novum"
第6主日: "Vocem iucunditatis annuntiate"(イザヤ48.20による)
上記とずれているのはなぜ? それから、どの本をみてもRogateは「ヨハネ16.24による」と書いてある(小学館の独和大辞典もそうです。)のですが、Vulgataの当該箇所には上に引いたような似たような句はあってもRogareという動詞は見あたりません。なぜ? Rogateについては、石田友雄先生に見せてもらった深津文雄さんの教会暦に関する本には、別なことが書いてありました。要調査。


昇天祭(Himmelfahrt/Ascension)
使徒行伝1.3-11によれば、キリスト・イエスは復活後40日目に弟子たちの目の前で天に昇ったとされています。昇天祭は、上記の第5主日と第6主日の間の木曜日になります。

聖霊降臨祭(Pfingsten/Pentacoste/Pentecote)

使徒行伝2.1以下の、ユダヤの五旬節の祭りの日に聖霊が弟子たちに下り云々の出来事を記念する大祝日です。復活祭から7番目の日曜日となります。ライプツィヒではやはり3日間祝われました。降誕祭、復活祭とならび、三大祝祭節とされています。聖霊降臨祭の代表的コラールとしては、グレゴリオ聖歌の"Veni Creator Spiritus"をルターが翻訳した"Komm, Gott Schoepfer Heiliger Geist"が最も有名でしょう。他に"Komm, Heiliger Geist, Herre Gott"、"Nun bitten wir den Heiligen Geist"など。



三位一体祭(Trinitatis/Trinite)

聖霊降臨祭の次の日曜日を三位一体祭とします。


まだまだ続く。:-)